期待を胸に、遠く離れた地方にある矯正施設に転職をした私でしたが、その転職に失敗して愛知県に帰ることになりました。
この時点で、私は深い傷心と、生活の不安などに押しつぶされて、ほとんど抜け殻のような状態になっていました。
今でも覚えていますが、そこまで金銭的に困窮していた訳でもないのにも関わらず、今後の生活が不安で心配で、お店で見かけた2000円のコーヒーサーバーを買うのをためらってしまうほど、落ち込んで弱気になっていました。
そんな状態でしたから、布団に潜り込んだまま出ることができない日もありました。
そんなひどい状態の私でしたが、落ち込んでいた状態から回復に導いてくれたのは、大学院の同期の友人や先輩方、そして指導教員だった恩師の先生でした。
大学院のみんなに飲みに誘われたので、顔を出してみると「原田くんが愛知に帰ってきてくれて、みんな本当に喜んでいるんだよ。今日はそのお祝いだからね」と、誕生日でもないのにホールケーキと一緒に温かく迎えてくれました。
また、私の恩師は「あなた、今時間あるんでしょ。ぜひ実務家教員として大学院の仕事を手伝ってよ」と、さりげなく「居場所」となる役割を与えてくださいました。
そんな温かな励ましや支援によって、私は「失敗しちゃったけど、もう一度、一からやり直そう」という気持ちになることができました。
そして、この1件は「つらい時や困った時に、自分ひとりの力だけで回復することなんてできないし、そんな時に最も必要なのは、温かさと優しさを持って寄り添うことなんだ」ということを、つくづくと感じさせられた出来事でした。
温かさと優しさに励まされ、またしても、そしてしぶとくも、少しずつ回復をしながら、私は再び高齢者分野の相談員として、ある法人に就職することができました。
そして、その法人にて数年間勤務した後、ご縁があって、長年働いていた高齢者の通所介護事業所に、今度はマネジャーとして「出戻る」ことになりました。
利用者さんのことだけではなく、事業所全体のことを考えながら、収益を上げていくというマネジャーの仕事は、人事面をはじめ、難しいこともありましたが、その反面、大きなやりがいもありました。
また、マネジャーの仕事をしている中で、強く感じさせられたのは、職員の「教育」や「育成」の重要性でした。
幸いなことに、その法人の社長と直属の上司は、職員教育や研修に対して理解があったため、私自身も大学院で学んできたことを活かして、積極的に教育体制や研修システムを作り上げることができました。
そして、職場のスタッフの人たちと力を合わせて、一つずつ課題に取り組んでいくことで、着実に支援の内容を向上させたり、収益を上げていくことができたのは、大きな自信となりました。
法人内では順調に昇進することもでき、部門のマネジャーや新設の特別養護老人ホームの立ち上げの仕事を行うようになりましたし、大学院の実務家教員としての仕事にも携わりながら、とても充実した日々を過ごしていました。
そんな中、またしても思ってもみない出来事が、私の身に降りかかったのです。
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