大学を卒業後は、山のふもとにある幼稚園の先生として社会人デビューをしました。
この幼稚園では「子どものありのままの姿」を大切にした保育実践を行っていて、子どもたちの姿を丁寧に見つめながら、その姿から集団での遊びを広げたり、自然の移ろいを肌で感じられるような保育に取り組んでいました。
私は4・5歳児の混合クラスを担当していましたが、30人近くの子どもと一斉に関わるといった経験がなかったので、最初は非常に苦労をしたことを覚えています。
ここの幼稚園では、大切なことをたくさん学ばせていただきました。
例えば、こちらが子どもに「何かをしてあげる」のではなく、あくまで「子どもの育ちに丁寧に沿っていく」といったことや、私たち人間が「自然の中にお邪魔して遊ばせてもらう」という考え方など、対人援助者として、そして一人の生活者として大切なことを身に着けることができました。
その点では、自然の中で子どもを保育していたというよりも、豊かな自然の中で、私自身が「育ててもらった」という方が、事実に近いと思います。
その幼稚園では数年勤めましたが、集団だけではなく個別での対人援助を深めたいという思いが高まったため、高齢者の通所介護事業所の相談員に転職をして、個別の心理的・社会的支援に取り組むことにしました。
転職後、20代の後半から30代の前半は、個別支援をはじめとした対人援助の仕事が、とにかく面白くて熱中していた時期でした。そのため、日中の仕事だけでは飽き足らず、夜は副業として電話やメール、テレビ電話を使用したカウンセリングサイトに登録し、オンラインのカウンセラーとしても、個別支援を行っていました。
また、この頃は独り身だったこともあり、通信制の大学に科目等履修生として通学をして、実験や統計を含めた心理学の基礎を学び直したり、休日のたびにカウンセリングや対人援助のための講習に参加したりと、今から考えると「よくやれたなぁ」と思うくらいに、仕事と学びに忙しい日々を過ごしていました。
バタバタと忙しくも充実した日々を過ごしていたのですが、30歳を過ぎた頃から、自らの仕事や実践内容について、ちょっとした足止め感や閉塞感を感じる場面が出てきました。
そんな状況もあり、対人援助の専門職として、もっと視野を広げて成長したいという欲求や、学びについてもうワンステップ深めていきたいという思いが、だんだんと抑えられなくなってきました。
その結果、結婚したばかりの妻に頼み込んで、一念発起をして夜間の大学院の修士課程に働きながら通うことを決意したのです。
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