「うつ」が悪化して、病院に入院することになった私は、中学3年生という年齢であったため、ある病院の小児病棟に入院することになりました。
大きな病院の小児病棟だったので、そこに入院している子どもたちは重い病気と闘っている子がほとんどです。
そのため、子どもたちの生活上のケアを行うために、病棟を担当する保育士さんが数名配置されていたり、院内学級が設置されているのが特徴的でした。
病院に入院した当初は、ただただベッドの上で寝て過ごす日々が続きました。
そんな中で、頭をよぎるのは、「もう勉強の遅れは取り返せない」「何で自分ばかりこんな目に合うんだろう」「生きていてもしょうがない」といった絶望的な考えばかり・・・。
常にそんな考えがぐるぐると頭の中を巡っているような状態でした。
実際に入院して数カ月の間は、生きるためのエネルギーがなくて、ひげを剃ることもできず、着替えるのもままならないような状態でした。
でも、だんだん日が経つにつれて、周囲のことに目が向くようになってくると、入院している子どもたちとの遊んだり話したりする機会が増えてきました。
遊んでいる中で、小さな子どもたちが「わた兄」なんていいながら寄ってきてくれましたが、そんな時には「こんな自分でも慕ってくれるんだな」と、とてもうれしかったのを覚えています。
そのような温かな環境の中、主治医の先生や看護師さん、保育士さんたちが、時間をかけて丁寧に見守ってくださったことで、本当に少しずつですが、エネルギーと生活を取り戻しつつ、回復していくことができました。
中学校の担任の先生も、病院に入院しながら登校できるようにと、色々と配慮をしてくれた時期もありました。
ただ、その時の私は教室で授業を受けるということすら怖くて、何とか登校したとしても、保健室で過ごすのがやっとでした。
そんなことを繰り返しているうちに、途中から中学校に通うことはあきらめてしまいました。
小児病棟での入院生活で、少しずつ回復してきた私でしたが、年が明けると、中学校を出てからの進路をどうするかという問題が出てきました。
もちろん、その頃の私には、自分の将来を思い描くことなんてできませんでしたが、ただ一つだけ、ぼんやりと心の中に浮かんだことがありました。
それは「自分が色々な人たちに支えてもらったように、私も人を支える仕事ができたらいいな」という「小さな願い」でした。
そんな「小さな願い」と、周囲の人々の励ましによって、はじめて定時制の高校に進学してみようかなと思うことができました。
個人的には大変な時期ではありましたが、周囲の人に温かく見守り、支えてもらったこの経験は、私の対人援助者としての「出発点」でもありました。
私を支えてくださった人との大切な「出会い」・・・。あれから25年近くが経ちますが、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
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