1年間の浪人生活を経て、何とか社会福祉系の大学のⅡ部(夜間部)に潜り込むことができた私は、親元から離れてアパートで生活するようになりました。
私が通っていた大学は、海沿いにある田舎の大学で、周りは海と田んぼだけという、本当に穏やかな環境でした。
そんな環境の中で、親元から離れて自分のペースで生活しはじめたのですが、そのことがよかったのか、この時期にうつの症状が軽減し、精神科のクリニックへの通院と服薬から離れることができました。
夜間の大学だったので、日中は自分自身がやりたいと思っていることにしっかり時間をかけて取り組むことができました。
今から考えると、そのことが自分自身の心の回復にとても役立ったと思います。
日中は、アルバイトで育児グループや障害児支援の現場で働いたり、パンのセールスをしていましたし、ボランティアではBBS活動(非行少年との友だち活動)やメンタルフレンドなど、子どもたちと携わる活動に参加していました。
特にBBS活動やメンタルフレンドでは、個別のケースを担当して自宅に訪問する形で支援を行っていましたが、その子の自宅や活動範囲において支援を進めていくことの大切さを、身に染みて感じることがよくありました。
これらの活動からは、アウトリーチ(対人援助者が相手のところに出かけていって行う支援の形態)の支援の利点やその効果、そしてやりがいなど、今の仕事につながる、大切なことを学ばせていただきました。
また「はじまりは出会いから」「まずは現場に出かけていくこと」といった、私の対人援助者としてのスタンスは、BBS活動やメンタルフレンドでの経験によって育まれたといっても過言ではありません。
もう一つ、この時期に恵まれていたことは、さまざまな活動を通して、多種多様な友達と出会えたことでした。
夜の9時過ぎに講義が終わると、だいたい友達の家に行って、お酒を飲みながら一緒にゲームをしたり、ちょっと真面目に人生について語り合ったりしていました。
そうした友達との気兼ねのない時間は、とても楽しかったですし、私にとっては、ある種の「リハビリ」や「トレーニング」の時間でもありました。
もちろん、ただただ平和な4年間だったわけではなく、友達との関係に悩んだり、恋愛に翻弄(?)されたりと、色々な出来事がありました。
ただ、どんなことがあっても、最後のところは「友達だから」「仲間だから」という言葉で、お互いのことを認め合い、尊重するというお付き合いができていたと思います。
振り返ってみると、大学時代の経験は、自分自身の人生にとって、かけがえのない大きな「意義」があったと思います。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、いよいよ大学生活にも終わりが近づいてきました。
卒業を目前にして、就職について考えた時にも、私は高校時代に見つけた「小さな願い」を胸にしたまま、子どもの仕事への就職を希望していました。
就職活動も決してうまくいった訳ではないのですが、色々なご縁にも恵まれて、4年生の3月という卒業間際の時期に、山のふもとにある自然保育の幼稚園の先生として、就職が決まりました。
また、卒業時には社会福祉士の国家試験にも合格することができ、大学生活を無事に終えることができました。
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